沖縄の米軍普天間基地を「移設」するために名護市辺野古に新基地を建設する、日米両政府の企てを許さないたたかいは、環境影響調査(アセスメント)評価書の提出をめぐる防衛省と沖縄県民のせめぎ合いが続くなかで、新年を迎えました。
沖縄はことし1972年の本土復帰から40年を迎えます。日本の総面積のわずか0・6%しかない沖縄にいまも米軍基地の74%が集中し、普天間基地や嘉手納基地をはじめ米軍専用基地が33も置かれたままです。県民が「基地をなくせ」と要求し、反対のたたかいを前進させているのは当然です。
県民の不屈のたたかい
日米軍事同盟のもとでアメリカが日本国中に基地網をはりめぐらし、とりわけ沖縄を異常な「基地の島」にしたのは、世界を軍事力で支配するアメリカの戦略のためです。
アジア・太平洋戦争末期に沖縄を軍事占領した米軍は県民を収容所に囲い込みその間に土地を奪い、普天間基地をはじめ数多くの基地をつくりました。52年発効したサンフランシスコ条約で日本と講和した後もアメリカは、沖縄を本土から切り離し、「銃剣とブルドーザー」で基地を拡張しました。国際法にさえ違反した暴挙です。
沖縄県民が基地を返せと要求するのは当然です。にもかかわらずアメリカはそれに応えず、日本政府も72年の本土復帰後、基地温存を認めてきました。基地を押し付ける政府への怒りがいかに大きいかは、95年の沖縄少女暴行事件で多くの県民が抗議に立ち上がった事実をみても明らかです。
沖縄県民は不屈のたたかいの歴史をもっています。サ条約で日本が施政権を放棄したため、条約に照らせば沖縄の返還は不可能といわれてきましたが、県民は“島ぐるみ”のたたかいで本土復帰を実現させました。復帰後も沖縄の基地強化は続きましたが、いままた新基地反対の“島ぐるみ”のたたかいが広がっています。
普天間基地撤去を求め、辺野古「移設」に反対する要求は揺らぎのない県民の意思です。15年間新基地建設の杭(くい)一本打たせておらず、新基地建設が不可能なことはいまや誰が見ても明らかです。
レビン米上院軍事委員長が「辺野古移設」は「実現不可能」とのべるなど米議会でも新基地建設は困難だという声が広がっています。自公政権時代に普天間問題に直接かかわってきた岡本行夫元首相補佐官でさえ「辺野古移設はもはや不可能だ」と述べています。
本土復帰から40年たつのにいまだに沖縄が「基地の島」であり続けるのは世界の異常です。日本政府は新基地を押し付けるのではなく、基地を縮小・撤去すべきです。
国民的連帯さらに広げ
ことし6月には沖縄の県議選があります。政府は新基地建設の「日米合意」を白紙撤回し、建設計画をきっぱり断念すべきです。日米安保条約を絶対視する異常な政治で苦しんでいるのは沖縄だけではありません。本土でも爆音や墜落の恐怖、米兵犯罪、事故が絶えません。
「基地のない沖縄」「基地のない日本」への展望を切り開くために、沖縄・本土が連帯して沖縄県民のこころをこころとして、新基地反対のたたかいを進めることがいよいよ重要です。