写真:井原市役所では終戦の日に半期を掲げています。
2016年8月15日(月)
主張
戦後71年 敗戦の日
戦争反省欠落の改憲を許さず
アジア・太平洋戦争での日本の敗戦から、71年を迎えました。いまや「戦後生まれ」が圧倒的多数ですが、戦争の悲惨さを語り継ぎ、平和への決意を新たにする日です。7月の参院選で自民・公明など改憲勢力が参院でも改憲案の発議に必要な「3分の2」の議席を獲得し、改憲の動きがいっそう強まる中での「8・15」です。自民党の改憲案は、戦争への反省を全く欠落させているのが特徴です。戦争の惨禍を二度と繰り返さないため、戦後71年の「敗戦の日」を機に、日本を「戦争する国」に引きずり込む改憲を許さない決意を固めようではありませんか。
被害体験した国民の決意
日本が侵略した朝鮮半島や中国、アジア・太平洋の国々の深刻な被害、アメリカの原爆投下や空襲で壊滅させられた広島や長崎、東京などの大都市、国内で最大の地上戦が繰り広げられた沖縄の甚大な被害、中国大陸やアジアの植民地からの引き揚げの塗炭の苦しみ、戦後の生活難―。アジア・太平洋戦争の被害と国民の苦難はどんなに時間がたとうと消えてなくなるものではありません。「日本国民は…政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し…この憲法を確定する」。敗戦の翌年11月に公布された、日本国憲法の前文です。
1931年の「満州事変」に始まり、中国東北部から中国全土に侵略を拡大、41年12月以降はアジア・太平洋全域に広がった「15年戦争」の犠牲は、アジア・太平洋地域で2000万人以上、日本国民だけでも310万人に上ります。おびただしい人的被害と国土の荒廃は、二度と惨禍を繰り返さない、繰り返してほしくはないという国民の悲痛な叫びとして、憲法前文に書き込まれたのです。
敗戦から71年、日本が自ら戦争を起こさず、「再軍備」によって発足した自衛隊も一人の戦死者も出さず、外国人の犠牲者も生まなかったのは、こうした憲法と国民世論があったからです。にもかかわらず安倍晋三政権は昨年、戦争法を強行しました。それにとどまらず、戦争を放棄し戦力は持たないと明記した憲法9条に狙いを定めて、改憲の策動を本格化させてきました。まさに、日本を再び「海外で戦争する国」「殺し殺される国」に変えてしまうねらいです。
自民党が改憲のために作成した「日本国憲法改正草案」は、憲法前文から戦争への反省と不戦の決意をすっぽり削除しています。残っているのは「平和主義」の名の下、「世界の平和と繁栄に貢献する」という言葉だけです。安倍首相は昨年の戦後70年にあたって発表した談話でも、戦前の日本の「植民地支配と侵略」を認めず、自分の言葉で「反省」も「おわび」もせず、「積極的平和主義」の名で自らの活動を正当化しました。戦争への反省を欠落させた自民党改憲案と同じ立場です。
国際的にも孤立への道
過去の侵略戦争を反省することなく海外での活動を正当化する立場が、日本国民にはもちろん国際社会でも通用しないのは明らかです。靖国神社への首相や閣僚の参拝が国際的な批判を浴びてきたとおり、戦争への反省を欠いた改憲策動は国際的孤立への道です。
異常な改憲策動の中での「敗戦71年」―侵略戦争反省の欠落を許さないことが、いよいよ重要です。