きょう16日は、雨の甲子園での高校野球をテレビ観戦しながら、20日付発行予定の「日本共産党森本ふみお後援会
ニュース」を入れる封筒の宛名をプリントアウト。あす以後同ニュースの原稿づくりに入る予定。高校野球は、あす関西高校の試合があるので、テレビ前でしっかり観戦・応援したい。
投稿者「森本ふみお」のアーカイブ
しんぶん赤旗日刊紙「主張」
終戦69年の節目
「戦争する国」繰り返さぬ決意
日本がアジア・太平洋戦争での敗戦を認めてから、69年になります。戦後生まれが国民の大部分になっても、310万人以上の
日本国民と、2000万人を超すアジアの人々の命を奪い、国土を荒廃させた戦争の傷痕は、消えてなくなるものではありません。
戦後日本国民は、「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにする」(憲法前文)ことを誓って、戦争を放棄しました。安倍晋三政権が、他国の戦争に参加する集団的自衛権の行使容認を閣議決定し、「戦争する国」への道を突き進むなか、不戦の決意を貫くことがいよいよ求められます。
戦後のあり方を覆す
1945年8月15日の正午、アメリカ、イギリスなど連合国が求めた降伏条件を日本が受け入れたことを伝える昭和天皇のラジオ放送を、耳にしたことがある人は少なくないでしょう。それまで、朝鮮半島や中国の一部を植民地とし、アジア・太平洋の国々への侵略を拡大し続けた日本が、国際的に孤立を深め、ついに敗北したことを認めたのです。 続きを読む
いわさき ちひろ展/特別展 巨匠の眼
きのこ夏まつり
台風一過、毎日暑い日が続いていますが、きょう13日には井原市内の各地区で夏まつり(盆踊り)が行われました(写真左)。
私
の地元木之子町でも恒例の「きのこ夏まつり」が行われました。私は、木之子公民館の森脇地区分館長なので、まつりの実行委員として、炎天下の13時半から約1時間半会場の準備作業に出ました。まつりは、18時30分から子供達が喜ぶゲームなどを行い、出店も大繁盛していました。19時過ぎに開会のあいさつを井上晴正公民館長が行い、瀧本豊文井原市長がお祝のあいさつをしました。私も地元市議としてあいさつをさせていただきました(写真右:野宮 修氏撮影)。 このあと踊り(写真)に入り、休憩を挟んで21時25分ごろまで踊りました。今年から「いばら☆まんてん」という新しい踊りをしました。私も踊って汗をしっかりかきました。今年も浴衣を着た人が多く、子ども達もたくさん二重の輪の中に入り、みなさん楽しそうに踊っていました。踊りが済んで参加者全員が大人と子どもに分かれ恒例のはずれ無しの「三角くじ」を引き、くじで当たった景品をもらっていました。くじが済んでから昼間準備を行ったときと同じ役割分担で会場の片づけをしました。
日本高齢者大会に向けての自治体訪問
きょう12日、14時50分から約50分「老後を豊かにする倉敷連絡会」の黒岡顕夫会長以下メンバー5人が井原市役
所を訪問し、9月12日、13日に富山市で開催される「第28回 日本高齢者大会」に向けて懇談(写真)しました。私もこの一行に同行しました。市側は北村宗則市民生活部長、中原康夫健康福祉部次長ら8人が対応してくださいました。まず最初は、お互いに自己紹介を行った後、前もって渡していた質問項目である高齢者に関わる検診受診率、後期高齢者医療制度、国民健康保険、介護保険制度、年金など5項目15件について説明を受けました。説明に対して質問をしたあと様々な話題を出し合い和やかに懇談しました。この懇談が終了後、市議会も訪問し、三宅道雄事務局長らとあいさつを交わし解散しました。
しんぶん赤旗日刊紙の記事より
11号台風の市内の被害状況/党地方議員会議
台風11号による9日から10日にかけての井原市内での被害状況がまとまっていました。幸いなことに大きな被害はなかったようです。内容は次の通りです。被害合計22件。内訳は、崩土8件(内民家への崩土1件)、落石(民家への落石)1件、倒木13件。
きょう11日、岡山市内で県内の日本共産党地方議員の会議があり参加しました、午前中は、党中央委員会 中央国
民運動委員会の梅津邦夫氏を講師に招いて「医療介護総合法の問題点とこれからのたたかい」と題して学習(写真)しました。私は午後からはほかに予定が入っていたので午前中で中座しましたが、日程では、午後からは午前中の学習について質問や経験交流をし、石井県委員長による先日の幹部会声明にもとづいて話もされたようでした。
台風11号
きょう10日は、昨夜から今朝にかけ台風11号の影響が心配されていました。9日16時42分に井原市に大雨警報
(土砂災害)と暴風警報が発表されました。夜中に風と雨が外をザワザワさせていました。台風11号は四国高知に上陸し四国を横断。その後兵庫県赤穂市付近に上陸し、日本海に抜けたというニュースが流れていました。現在(18時過ぎ)は日本海を北上しており、北日本に激しい雨を降らせているようです。浸水被害をはじめ、死者、行方不明者、負傷者などもを出しているようです。これ以上の被害が出ないよう祈るのみです。井原では、11時04分に大雨警報解除、14時48分に暴風警報解除が発表され一安心しました。小田川の濁流もいつもよりは少ない(写真:井原浄化センター下12時半頃)ようで雨量も思ったより少なかったのか?。市内の被害も大きなものは無いようでヤレヤレです。
長崎平和祈念式典
しんぶん赤旗日刊紙 「きょうの潮流」
きょう9日午前10時40分現在台風11号が大変気になるコースを進んでいるようです。今後の情報に注意していなければ・・・・。
きょうの潮流
4年前に93歳で亡くなった山口彊(つとむ)さんは二重被爆者でした。6日に出張先の広島で、その3日後に命から
がら帰ってきた地元で。長崎三菱造船に勤めていた29歳の夏でした▼生前、山口さんはそのときの話をNHKの「ラジオ深夜便」で語っていました。戦争末期、満州や朝鮮から物資を運ぶ船を設計するため、広島の造船所へ。3カ月間働いて、長崎に帰るという前の日に芋畑で最初の原爆に遭います▼熱風に飛ばされ、顔の左半分や左腕は焼け焦げ、皮がむけて垂れ下がる。やがて黒い雨に打たれます。翌日、いくつもの死体の山を越えて駅に向かいます。川にも無数の遺体がひっついたように漂っています。「まるで人間の筏(いかだ)だ」▼一昼夜かかって長崎に着いて病院に行くと、顔も手も包帯でぐるぐる巻きに。その姿で出社した日に、またもや原爆に襲われます。あのきのこ雲が…。おぞましきものに追われる恐怖。〈くろぐろと数限りなき佛(ほとけ)たち真夜(まよ)たち上る原爆図より〉▼地獄のような「人間筏」を二度も目の当たりにした山口さんは、90歳で語り部となりました。記録映画がつくられ、取材や講演で記憶をたどる日々。そして、国連の場でも核兵器の廃絶を訴えました。「3度目は絶対にあってはならない」▼山口さんをはじめ、被爆体験者の証言は、国際世論を動かし、次の世代に平和の尊さをひろげてきました。その流れは一部の核保有国を追いつめ、核のない世界をめざす大波をつくりだしています。きょう69回目の長崎原爆の日。


